「フジヤマ音楽史」って・・・「80'sミュージック」はどうした? って方が いらっしゃるかどうかは
分かりませんが、元来飽きっぽい性格なもんで 今回から私的音楽遍歴を遡って行こうと思います。
まぁ薄れ行く海馬の記憶との兼ね合いなもんで、表記や時代を誤植する事も有るでしょうが
広い心でお付き合い下さい。
で、記念すべき第一話は「これは外せないでしょう!」もしくは「ここから全てが始まった・・・」
な「クールス」。 時は1976年、フジヤマ小学5年。
四つ上の兄貴が「お前もソロソロこんなの聴かんと・・・」と、ライブ盤「東京直撃」を手渡す。
この時初めて針がダイヤモンドで出来てて 慎重にしないと盤が傷付くと教えてもらい
兄貴のプレイヤーにレコード盤を置き、恐る恐る針を落とす。
そしてスピーカーから発せられた聴いた事の無い音楽に一瞬にして惹き込まれた事を思い出します。
初期のクールスは岩城滉一氏と舘ひろし氏の出会いから生まれたモーターサイクルチームが発祥で
その後アメリカの「ヘルス・エンジェルス」を模し、永ちゃんの居る「キャロル」の親衛隊から
デビューした為、キャロルの二番煎じ・・・等と思われがちですが
誤解を恐れずに言わして貰えば、キャロルはイギリス系ビートバンド「ビートルズ」をお手本とし
クールスはアメリカ系コーラスグループ「シャナナ」をお手本にする等、音楽の方向性が違うんです。
そんな中、本日は岩城滉一氏は勿論の事、舘ひろし氏、そしてクレイジーケンさんも未加入時の
1981年頃の名曲「ラストダンスはCha・Chaで」をお聴き下さい。
舘氏の抜けた第二期の「クールス・ロカビリークラブ」時代、山下達郎氏プロデュースアルバム
「NEW YORK CITY N.Y.」辺りからが音楽性に幅が増え、クールスの中で一番脂が乗ってて
フジヤマ的には最高期だと思ってて、もう一人のメインボーカリスト「水口晴幸」氏が抜けた直後の
シングル曲ですが、TV「ヤングOH!OH!」に出演された際、当時若手漫才師だった島田紳助氏や
明石家さんま氏達が人文字でC・O・O・L・Sとヤッてたのと、紳助さんが「むっちゃファンなんです~」的
言葉を発してたのが印象的でした。
村さんを筆頭に実はムチャクチャ歌が上手く、コーラスに至っては日本でも屈指のグループで有る事が
「紫のハイウェイ」や「シンデレラ」等、初期のクールスしか聴いて無い方々に理解されておらず
不当に音楽的評価が低いのが納得出来ないフジヤマですが、ちゃんと自分の耳で聴けば
美しいメロディラインやコーラスワークの素晴らしさが伝わると思います。
とにかくこの方達の音楽はただの「不良ミュージック」では無い!と言う事だけは肝に銘じて下さい。
何か語り出すとキリが無いので 今日はこの辺で・・・
おお~♪
この曲をチョイスされましたか(o^-')b
自分も大好きな曲のひとつです。
バンドとして、昨年35周年を迎えられ
去年から、この5人のオリジナルメンバーで
活動されてますヨ(^-^)v
しかし、ここまでクールスを語る方が
県内に居るとは...それも驚きです:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
アハハハハッ、年季が違います! なんせ舘ひろし在籍時代から
聴いてるもんで。 初めて買ったLPは「ハロー・グッバイ」(舘脱退盤)
次が「デッド・ストック」(←未CD化?)だったかな?
「黒のロックンロール」とかの初期盤は皆兄貴が持ってました。
後は楽友と合せて「ロックンロール・ジャンキー」辺りまでは
全曲コンプリートしてたはずです。
最近はご無沙汰ですが・・・