この度はフジヤマシャツウェブサイトにお越し頂き誠にありがとうございます。
ハワイアンシャツの起源と言う物には諸説有りますが明治時代ハワイに移住した日本人が当地の気候風土
に合わせ着物をシャツにリメイクしたのが始まりとも言われております。
そんなハワイアンシャツに魅せられ当時のイメージをふくらませ、時代着物だけがもつ存在感を何とか
表現できないかと試行錯誤を重ね、最終的に独学のままではラチがあかないと京都着物シャツ界
の重鎮に弟子入りし今日に至りました。
世界に誇れる日本人のすばらしい感性と技法その集大成とも言える着物を大胆に
そして贅沢に使用し、世界に1着と言えるハワイアンシャツに仕立て上げました。
皆様方もフジヤマシャツを通じ、先人達の築き上げた
着物と言うすばらしい文化を再認識して頂ければ幸いです。
フジヤマシャツ 代 表 武田 正
まずはフジヤマシャツのコンセプト的な事をお話させて頂きます。
- ①
- カッコイイ事(私のフィーリングではありますが)
- ②
- 時代着物から作ること。
- ③
- 商品というより作品として想いを込めて作ること。
- ④
- 素材感を失わない範囲で極力丈夫に作る事。
- ⑤
- 料理の世界にも通じるが、良い素材と良い技術で
良い物が出来上がると言うことを念頭に置き常に精進していく事。
…とまぁ時代着物の質感を生かしつつ、地味又は派手な中にも上質感があり
どこか色香が漂って来るような、そんなシャツ作りを目指しております。
※各部位をクリックすると拡大写真および詳細が出ます。
頁上へ写真をクリックで拡大します。
頁上へ元々大好きなハワイアンシャツではあったが、当時の和柄と言えば少しきばり過ぎてて
この年齢にはちょっと気恥ずかしいものが多く自分好みの柄にはなかなか出会えなかった。
そこで着物から作ってもらおうとリメイクもされている骨董店へ顔を出してみる・・・
そこには大正から昭和初期を中心とした着物が多数置かれており、
40代の親父にとって今まで縁もゆかりも無かった見たことのない世界が広がっていた。
見る物すべてが新鮮で、着物の由来、歴史などお伺いしている内に
その文化的意味、感性、技法にどんどん心奪われていった…
しかし、いざリメイクの話になり当方のこだわりを話すと、そんなハイレベルな要求の物は作れないとの事。
ほんじゃあ自分で作ってみるか? と軽いノリでミシンを買いに行く。
その後、休日の度にアロハ三昧の日々が続くもその頃には生業としてのシャツ作りという物が脳裏によぎっており
自己流ではラチがあかないと京都着物シャツ界の重鎮の所を訪問、突然の来店にも関わらず
素材選びや縫製の事など色々教えて頂き、しまいには「修行に来ても良いヨ!」という話にまでなり、
しばしの準備期間の後、会社を辞め修行の日々を送り現在に至る。
1965年 鳥取市に生を受ける。
小学5年の頃にはロックンロールに目覚め、中学1年の頃にはヤンキーに目覚める。
この頃にアロハシャツにも通ずる「どやっ!」の精神が根付く。
地元工業高校卒業後、ガソリンスタンドに始まり県外を含めいくつかの職業を経て
家業の自転車店を継ぐ。その後なんやかんやあって現在に至る。
性格は超ポジティブ。単純で前しか見ていない。典型的B型人間。
身長165cm、ガッチリ系だが趣味の食べ歩きによるメタボ腹。
うまそうな物を見つけたら京阪神程度ならピューンとバイクを飛ばして食べに行ってしまう。
あと子供の頃からの音楽漬けは相変わらず。
今時の音楽にはあまり食指が動かないが、
ブギー系の腰に来るやつにめっぽう弱い。
最近では
ハウンド・ドッグ・テイラー にやられている。
妻と娘の3人暮らし。 I♥日本酒
頁上へ最後にこのサイトを立ち上げるにあたりお世話になったWebデザイナーの方々。
古着物屋さんやミシン屋さんなどの取引業者様。 色々お世話になった&迷惑かけっぱなしの家族。
そして何より包み隠さずすべての技術をお教え頂いた「細川麻衣」様に心より御礼申し上げます。
平成21年 5月 吉日
フジヤマシャツ代表 武田 正